# 2025-10-15
- 在宅勤務。
- 前職は時短勤務していたのだが、フルタイムで就職したのでかなり時間のやりくりが難しい。在宅勤務時にものすごく早く業務を開始するしかない。
- ひどい腹痛がたまにあるので昼休みに消化器内科に行った。病院RTA。特に何ともなく整腸剤をもらった。
- 荷物の配送日を在宅時に集中させたため、荷物がたくさん届く。
- 短歌の月詠を出した。
[[日記どうする問題 - 2025-10-11]]みたいなエントリまで書いたのに日記開始が水曜日になった。あまり自分と日記って相性よくないのかも。よくわかりません。
忙しい毎日を送っているとき、「プールでずっとクロールしててたまに息継ぎしてるみたいだな」とぼーっと、繰り返し繰り返し連想している。繰り返すイメージなので短歌にしたいのだが、あまりにいつもこの情景を考えすぎているのですでに作ったような気がする。
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# 2025-10-16
- 出社。通勤電車で短歌の月詠を生成AIに読ませてみたが、全員(ChatGPT、Gemini、Claude)誤読するので今回はわかりにくかったのか……と絶望する。でもGeminiだけは「生成AIが理解できないということは、それだけ新しい表現かもしれないということです」と慰めてくれた。
- 朝ごはんを食べ忘れていたことに気付いた。
- 文房具やさんで文房具を買うつもりで、休業中の札を見ずに扉をがちゃがちゃやってしまった。
- 編み物を少しずつやっている。いまはお花?のコースター?を編んでいるが、言われたとおりに糸をくぐらせると立体になっていくのが信じられない。
- 幼児が指で「2」を作れるようになった。「4」を作ってから「2」にすると上手にできるらしい。知見。
幼児が保育園で作ってきた絵がたいそう素晴らしく、あんまりいいのでこれだけ別に額装して高い位置に飾りたいが、あまりそういうことをしてはよくないような気もする(以前別の人の絵に同じことをしたらいやがられたことがある)。
いま東京都美術館でゴッホの家族に焦点を当てた展示がやっているはずだが、ゴッホはよく見ているのでまあいいか……と思ってスルーしてしまった。でもこう考えると自分にも関係ないトピックではなかったかもしれない。テオにあって(たぶん)私にないデリカシーを学んだほうがよい。
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# 2025-10-17
- すごく寝坊した。
- 朝起きたら家族が育てていた青虫(ベランダのレモンについていた。しばらく前に蛹になっていた)がクロアゲハになっていてびっくりした。幼児は「青虫にもどしてほしい」と主張していた。クロアゲハは無事に飛び去っていった。
- 在宅勤務。
- 夜中にふと目が覚めたら腹痛がまた来ていて、床で七転八倒した。
腹痛は治まったのだが、このようにはげしい痛みを自分の体に感じるときいつも宮沢賢治の著作のことを考える。「眼にて云ふ」が自動的に連想されることが多い。
>あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。
[青空文庫 宮沢賢治/疾中](https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/471_19937.html)
人間が死ぬとき、運良くいい感じに終わって起承転結を作れる人もいるかもしれない。ただ多くの場合そうではないのではと思う。なんかはげしい痛みがあって、何!??!うわー!??!死、みたいな感じが多いのではないか。
生活を語るときストーリーを介在させたくない([[日記どうする問題 - 2025-10-11]])とうっすら思っているのだが、それはこのように人間の終わり(そして始まり)があまりにも唐突で、ストーリーにはなりえない「現象」だと感じているからなのかもしれない。
> わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
[青空文庫 宮沢賢治/春と修羅 序](https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1058_15403.html)
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# 2025-10-18
- 昨日の腹痛覚醒により1日眠くて辛い。
- 家族で買い物に行き、サーティワンのアイスクリームを購入した。幼児はピカチュウのアイスケーキサンプルに釘付けになっていた。
- 編み物のマーカーというのを買う。いつも予習して心配していらないものまで買い込んでしまうので、このように必要になったときに道具を買うのはなんかかっこいい。
- ジョーン・エイキン「月のケーキ」(創元推理文庫の新しく出たやつ)を読んでなかったのを家族が発掘してきてリビングに置いてあったので、読む。確かに表紙の絵みたいに甘くてちょっと変な味のするおいしいお菓子みたいな短編集。
とつぜんなにかのせいにするなという感じなのだが、妊娠出産してかなりすべてが何もかも変わった。お酒も飲めなくなったしなぞの腹痛もあるし生理痛がひどくなったし、また新しいフィクション作品が全く読めなくなった。
妊娠のせいで……出産が憎い……とかはべつに思っていない。ただ変化が明らかに妊娠出産前後にあり、私の人生のメルクマールのひとつだなとなんとなく思う。
フィクションが読めなくなったのはなぜか全くわからない。とにかく1人の人間が作った話を読めなくなった(でもゲームは個人制作のものでもできたから恣意的なものだとは思う)。
だいぶその状態が続いていたように思う。ちょっとずつ、何年か前に発売された文庫版の「百年の孤独」でリハビリしてきた(リハビリが苛烈である)。ただそれでも読み通すまでは行かず、「月のケーキ」は久しぶりに読み通せた「フィクションの」「魔法や不思議な生き物が出てくる」お話だったと思う。嬉しい。
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# 2025-10-19
- 髪を切りに行く。髪を染めなくなったのですぐ終わって便利。
- 家族と川に行く。幼児が川に入りたいと主張し、水遊び用のサンダルだったのでまあ浅瀬なら……とGOサインを出したところ、案の定お尻の方まで全部ずぶ濡れになる。幼児は苔の生えた石が怖いらしい。鳩に大きな声で挨拶する。
- 近所の異様にうまいパン屋さんで異様にうまいパンを買う。
- 「月のケーキ」を読み終える。
- お花?のコースター?をまだ編んでいるが、花びらが5枚のはずなのにどう見ても6枚できている。この1枚はどこから来た?
全然日記を時間置いて公開するとかができない。書いたら即アップロードしてしまう。だいたい自分は他の文章とか短歌でも書いたら即アップロード、公開してしまうので、アップロードしてから何回も修正することになる。短歌の月詠は郵送するので修正ができないのだが、自分の中で修正する。いや修正してから郵送してくれ頼む。
アップロードするのが楽しい、自分の文章が公開されることそのものが楽しいんだと思う。早く公開したくて仕方ない。
旧twitterはそういう需要にぴったりお応えという感じだった。むしろその一連の流れの「アップロード部分だけを取り出しました!」みたいなサービスだったなと思う。甘栗むいちゃいました。メロンパンの皮焼いちゃいました。
自分の中で文章を発酵できる人どうなってるんだ?と思うけど、そうしないといい文章は書けないような気がする。一生浅漬け文章を書き続ける運命かもしれない。