# 2025-11-03 生きていればそういうこともある - クリスマスツリーを出す。幼児が喜んで飾りをつけてくれるが、完成後すべて飾りを外し、そしてまたつける。これの繰り返し。 - 幼児がお医者さんセットを使って家中のぬいぐるみを診察している。家中のぬいぐるみが幼児の前に列をなし、治療を受けている。 - ついにくまのぬいぐるみキットの縫製を始めた。ダーツなる手法が登場する。平面が立体になっていき楽しい。 - 予約していた大崎清夏「いいことばかりは続かないとしても」が届いたので読んでいる。おもしろい。サイズも装丁もいい。 - クリームシチューを作っていたら、圧力鍋のシーリングが甘かったらしく圧がかからず、気づいたら鍋を盛大に焦がす。 - 根生姜でジンジャーシロップを作る。 鍋をよく焦がすが、鍋を焦がすことに対してあまり何の感情もない。 ただ、今日は圧力鍋の圧がかからなかったのが悲しかった。食材に熱と圧力をかけるのが好きだから。 自分でもびっくりするくらい落ち込んでしまった。圧がかけられなくて…… ジンジャーシロップには正気か?という量の砂糖を使う。そのため、砂糖のストックがないと蜂蜜やら粉糖やらよくわからない甘味でメスアップすることになる。今回は職場でもらってきた三温糖のストックがあったので助かった。 職場で三温糖をもらうってどういうこと、という話だが、生きていればそういうこともあるとしか言いようがない。 ちなみに、そのとき小麦粉ももらった。助かる。 --- # 2025-11-04 ホームセンターがたくさん - 出社する。 - ドライみかんというものが売っていたので食べてみた。みかんがくにゃくにゃしていて、薄い。 - 使っているスマートフォンが壊れかけていることには薄々気づいていたのだが、ついに基盤が露出している部分を発見してしまった。怖い。即新しいのを買った。出費が怖い。 両面テープがなくなったので帰りに買った。他に買えるところがなく、本屋さんで買った。 他にもプラ板とかグルーガンとか工作をしようと思うとほしいものがたくさんあるのだが、買えるところが近くに100均しかない。100均はもちろんありがたいけれど、一般のホームセンターや手芸店で買ったものと比較するとやはりエントリーモデルだなと思うこともある。 ではAmazonで……ということになってしまうんでしょうか。最近Amazonどうなのという気持ちがつよく、なるべく買わないようにしているが、Kindleを使用している時点であまり意味がないような気がする。じゃあ楽天・ヨドバシならいいんですか?とも思う。 やはりホームセンターがたくさんあってほしい。 --- # 2025-11-05 全部を未解決にして死ぬ - そういえば、袋を編み終わった。やはり見本より3倍くらい横幅が大きく、巾着として絞るとしじみのようになる。これはこれでよし。 - 次はグラニーモチーフなるものを編む。毛糸の2本どり!という手法を使う。頑なに大きいかぎ針を買わず、1本でやっているが、編みづらい。道具を惜しむのは良くない。 - 在宅勤務。年末調整などを行う。 - セミナーを受けようとしたらパスワードを所定の回数間違えて30分ログインできなくなった。茫然。 虎硬「効果を2倍に上げるイラスト学習法」を読みはじめた。おもしろい。 何かが上手い人をよくよく見てみたら、その上手さって結局絵の上手さに起因するなと思うことが多い。絵の分野以外でも。 まあ当然で、絵が上手いということは対象をよく見られるということだし、そこに自分のフィルタをかけて絵に反映させることができるということだからなんでも上手くなるよね(わたしは次にシャリー・ティシュマン「スロー・ルッキング: よく見るためのレッスン」を読むべきなのかもしれない)。 ずっと絵を練習したいなとうっすら思っていて、このような本を読んでいる。私は実用書やビジネス書の類がかなり好きで、何かをやる前にこういう本を読んでしまうタイプ。 こんなことをせずに行動に移す人間が一番つよいのだが、まあこんなことを続けているうちに、ある瞬間に絵を練習しはじめる、ということもあると思う。たぶん。 人生は有限なのだが、有限の人生を最大限活かせるなどと自分に過大な期待を持ってはいけない。それでも何かが始まるときは始まる。我々にできるのはドミノの最初をちょんと押すだけ、あとはただ茫然としている。全部を未解決にして死ぬ。 --- # 2025-11-06 習慣ポケモンスリープ - 新しいスマートフォンの設定などをする。毎回APN設定を忘れる。 - 出社。巨大なおにぎりを食べる。 - ポケモンスリープで新フィールドのアンバー渓谷が出たのでさっそく移動する。 ポケモンスリープというのは睡眠記録アプリで、睡眠記録アプリのはずなのに「攻略」という概念が存在する。 ポケモンスリープはほとんど惰性で続けているが、ほぼ2年半くらい続けていることになっている。他にこんなに物事を続けたことがない。怖い。惰性なりに厳選ラインなどを調べて一生懸命やっているが、惰性なのになぜこんなことをやっているのか自分でもよくわかっていない。 離れて暮らしている家族が一人ポケモンスリープをやっているが、彼の人も1日も欠かさず睡眠を記録し続けている。 ゲーム、習慣化、で思い出すのは井上新八「時間のデザイン」という本だ。この本はその名の通り、時間をどう使うかについてのビジネス書なのだが、その”デザイン方法”の主軸は彼が得意とする「習慣化」におかれている。 彼の「習慣化」は「ゲーム”どうぶつの森”の村を花で埋め尽くし、1日も水やりを欠かさない」という習慣から始まったのだという。 ……たぶん”どうぶつの森”をやったことのある人ならわかると思うが、これはちょっとすごい。なぜなら信じられないくらい労力のいる仕事を「習慣」にしていると平気で言ってのけているからだ。 この本は全編この(言っていることはわかるが、それを本当に毎日……?)に満ちており、参考になると同時にかなり面白い。あと毎日やっているルーティンの量がすごく多くて、これで終わったか?と思ったら「ここまでが朝のルーティンです」と書かれており笑ってしまった。 ビジネス書はこのような、一般化している書きぶりなのによく読んだら登場している個人がかなり個性的、というものが結構ある。読む前にはわからず、読んでいくうちにだんだんあれ……?これは……?という気持ちになってくるので、一種のサスペンス小説として読める。私の中ではスティーヴン・ミルハウザー「エドウィン・マルハウス」と同じカテゴリに入っている。 私のポケモンスリープもそろそろ習慣と呼んでよい頃合いだろうか。個性的とよんでも差し支えないだろうか。 もしかしたら習慣という存在そのものがすべてかなり個性的なものなのかも、と思う。 --- # 2025-11-07 濃縮還元おにぎりの具 - 幼児の体調が悪く休暇。また親が交代で見る。 - 幼児のおもちゃである豆で、病身の幼児がケーキを作成しふるまってくれる。 - 午後から在宅勤務。 - グラニースクエアを1個編み終わる。これは楽しいかも。なんか終わりがすぐなので達成感がすぐ感じられてよい。 日記をしばらく書いてみているが、意外といけるじゃん!という気持ち半分、2時間とまではいかないがすごい時間かかる日ある!という気持ち半分って感じ。昨日の日記などどうしても引用したい本の話があると長くなりがち。 このあいだ出たセミナーでは、総論のあとのおまけみたいな感じでプレゼンターの研究内容が書いてあり、時間がなくてほぼそこは割愛されていた。しかしその内容のほうが圧倒的にプレゼンターが活き活きしており(”どうしても語りたい”ことだったのだろう)、面白く、ぜひもっとこの話を聞かせてほしいと思ったのだった。 プレゼンターの研究内容やらどうしても引用したい本の話やらというのは、人生のおいしいところというか、おにぎりの具というか、一番よい部分なのだろうと思う。 できればよい部分をextractして濃縮還元した世界に生きたいが、なかなかそうはいかない。なぜなら時間は省略できても、そこに辿り着くまでの道は省略できないからだ(新本格魔法少女りすか)。そうして一番よい部分ではないものも取り込みながら人間がすれ違っていく。 --- # 2025-11-08 ふーんではないだろ - 買い物。クリスマスのアドベントカレンダーをやってみたかったので買う。 - 幼児はチョコがいっぱい入ってると思っていたらクッキーや飴が入っていたのでショックを受けたらしい。ごめん。後で入れ替える。 - 喉が痛い。 - グラニースクエアを2枚繋いでなんか袋?ができた。何を入れたらいいのか? - 鬼気迫る洗濯。 トレンチコートの袖になぜか(たぶん)血液の染みがすこしついていて、「ふーん」と思って放置していたのだが、ふーんではないだろと突然気づいたので洗濯した。 学生の時分に生活が終わっていた時期があり、扉を閉めた部屋にものを全部ぶちこみ、時折扉を開いて「ふーん」と思っていたが、それもふーんではないだろと思う。 いまスニーカーが履き込んでぼろぼろになっており、普通開かなさそうな部分に穴が開いていて「ふーん」と思っているのだが、それもおそらくふーんではない。 --- # 2025-11-09 ふーんと思っても何も恥じるところがない - 幼児と絵の具で遊ぶ。 - 林雄司「「面白い!」を見つける——物事の見え方が変わる発想法」を読んだ。絶対に世の中を面白がりたいという突き詰めた覚悟があり、すごい。 - 家族に頼まれていた小物入れが完成し満足。幼児に渡したところ、ぬいぐるみの家になっていた。 できたものにあまり興味がない。編み物とか工作とか作文とかやって成果物がある。特に工作で幼児が遊ぶとやったぜと思うし、作文とか短歌は発表すると感想がもらえることがあってそれはすごい楽しいのだが(なのでエゴサすごいするのだが)、いちばん楽しいのは作ったときと、作ったものをリスト化して眺めているときなので、なんか成果物自体はどうでもよくなってしまう。 一応、工作や編み物で作ったものは一旦幼児に渡すことにしているが、たいてい「ふーん」って感じの反応である。そして、私も作ったものに対して「ふーん」って思っている。 ものを作ると「ふーん」と思っても何も恥じるところがなくてよい。