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デヴィッド・グレーバー/デヴィッド・ウェングロウ「万物の黎明」(酒井隆史訳、光文社、2023)という本を年初あたりから友達と読んでいた。
このたび、晴れて読み終わったので感想を書きたい。めっちゃながいです。
<div class="rich-link-card-container"><a class="rich-link-card" href="https://books.kobunsha.com/book/b10125289.html" target="_blank">
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<div class="rich-link-card-text">
<h1 class="rich-link-card-title">万物の黎明 - 光文社の本 – 刊行書籍の公式情報サイト –</h1>
<p class="rich-link-card-description">
デヴィッド・グレーバー 著
</p>
<p class="rich-link-href">
https://books.kobunsha.com/book/b10125289.html
</p>
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</a></div>
この本は「ブルシット・ジョブ」で有名なデヴィッド・グレーバー(人類学者)とデヴィッド・ウェングロウ(考古学者)の共著で、グレーバーの遺作でもある(グレーバーはこの本の脱稿直後、2020年秋に亡くなったそう)。
# どんな話
原著の副題であるA new history of humanityの通り、かなり意欲的な人類史の捉え直しの試みである。
現代人が先史時代を語るとき、その語り口には大きく分けて2つあると著者らは言う。すなわち、「ホッブズ流」と「ルソー流」である。
前者は人間をその初源状態からして利己的生物であり、万人が万人と争い合う戦争状態から、集団による抑圧によってまともな生活状態が得られているのだと説く。後者は、小規模な集団であった頃、人間は無邪気であり平等だったにもかかわらず、まるで知恵の実を食べたように「農耕革命」が起き、都市が出現し、「文明」「国家」が出現することですべてがおしまいになり、この世は不平等になったのだと説く。
著者らはこのどちらもの見方を、”端的に真実でない”と断ずる。そしてこの本ではもっと希望があり、もっとわくわくするストーリーを語ると。
この本は、ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」や、ユヴァル・ノア・ハラリ「サピエンス全史」といった、いわゆる"ビッグ・ヒストリー"系一般書へのアンチテーゼでもある。
これらの一般書はホッブズ流、ルソー流のやり方のどちらかで先史時代を扱っている。現代以前の人間を「高貴な」あるいは「野蛮な」ものとして扱う。しかしこれらの言説は”人間の可能性についての感覚を切り縮め、ばあいによっては破壊してしまう”。
彼らによれば、近年の人類学および考古学は先史時代の人間が「野蛮」でも「高貴」でもなかったことを示しているのだという。しかし、専門家が一般化をきらうために、それを統合することができていないのだ。
彼らはこの本で、「先史時代から失われたものは何か?」と問い、問いに答えるための材料を並べて見せる。
先史時代から失われたものは確かにあったのだが、すくなくとも”平等”ではない。では一体何なのか?
# とにかく長い
この本は本編が593ページ・参考文献が55ページある、いわゆる「鈍器本」である。さらに1ページ2段組であり、読んでも読んでも終わらない。
邦訳版が出版された2023年に購入自体はしたものの、読んでも読んでもページが減らず、挫折していた。3年越しに友達と挑戦することで、最後まで到達することができた。
友達と読むにあたって章ごとに締め切りを設けたので、どうしても移動中に読まなければならず、本を章ごとに分解するという暴挙に出た。生まれて初めてです、こんなことしたのは。アイロンを当てると背表紙の糊が融け、分解することができます。
# 読み通して思ったこと;想像するだけでいい
あんまり人類学と考古学にくわしくなく、この本が当該学術界でどのように捉えられているかはなぞ。
わりとリベラル・フェミニズムの言説をこのんで摂取するので、現代に対して悲観的な話ばかり聞くのだが、著者らが言うとおり、これ以上この世界は良くなることはない、というのは「あまりに極端」だし、人間の残念ながらわずかにある美しい部分を無視していると思う。
ただ"Factfullness"が出たときとかにおおはやりした、今はデータで見れば昔よりよくなっているからとにかくなんでもいい、みたいな話にもいやちょっと……と思っており(ステータスでは良いはずの大富豪が幸せでない、という話は古今東西あらゆる小説で繰り返されているではないか?)、そういったどっちつかずの立場に寄り添ってくれる本だなと思った。
全編を通して著者らが大切にしているのは、たとえ2000年前、いや一万年以上前に存在した人類だとしても、我々と同じ人間であると思うことだ。つまり、同程度に思考力があり、同程度に複雑なものを取り扱っているということだ。
いったい先史時代は野蛮で、理屈が通じず、非合理なことが信じられていた貧しい時代と描かれがちだと思う。氷河期?と思われる氷の世界で、わずかばかりの茶色い皮を来た汚れた身なりの人間がマンモスを追っているイメージ。
著者らはそうではなく、彼らを我々と同じかそれ以上に賢明な、社会構造について思考力のある人間だと捉えることを提案する。
> 先史時代を、そこにいる人びとがまだ行きていて会話することもできる、そのような時代として書こう、と。かれらを模範とか見本、歴史の不可逆的法則を演じるソック・パペットやらおもちゃとして扱わないことにしたのである。
> デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ「万物の黎明」、酒井隆史訳、光文社、2023、p6
本の冒頭で著者らが発する、「失われたものは何なのか?」という問いの答えは、「異なる社会のありようを想像する能力」である。
先史時代には社会構造を季節ごとに変化させるような集団や、支配層がまったくいないような”都市”を築いた例があった(この本の大部分は"異なる社会のありよう"についての実例)。
彼らはもちろん「文明以前」などではなく、不平等を巧妙に回避するよう考え抜いてその政体を選んでいた可能性すらあると著者らは言う。
私は残念ながら支配層が存在する時代にしか生きたことがなく、そして季節ごとに社会構造が変化したことがない。
そういった世界をほとんど想像することができない。まさに能力が失われている。
社会構造を「選択した」人間がいたことも想像しづらいが、しかしそう思うと、先史時代の人間が”ソック・パペット”ではなく同等に思考力を有している人間だと理解することができる気がする(そして同時に、自分のなかにも存在する先史時代の人間への偏見を理解する)。
この本はあくまで人類史の新しい見方についての手引書といった体で、これ自体が新たな政体(相対的に不平等がなく、自由な世界)を提案するものではない。
しかしそれはかつてあったのだという。そしてかつてあったのだから、人間には可能なのだという。
注意深く論理を進めないとこの論法はやっぱりルソー流になってしまう。
著者らはそうではなくて、もう一度想像しろ、想像するだけでいいと言っているように見える。
想像する先にしか可能性はないから。
---
# 面白かったところ
## 著者らの自由の定義
人類史のほとんどにおいて、自明のものとされていた(そして現代は失われてしまった)自由として次の3つがあるらしい;
1. 移動し離脱する自由
2. 命令に従わない自由
3. 社会的関係を変化させる自由
われわれは移動し離脱することができない(他国の国籍をもたないから)。命令に従わないことができない(会社からクビにされたら困るから)。であるからして、社会的関係、ひいては社会組織を変えることなんて思いもよらないというのだ。
全く言い返せない。かなし〜。
しかも「人類史のほとんどにおいて」これは自明のものとされていたらしい。
先史時代の人間はたいへんな距離を移動しており、移動してなお、歓待されうる集団を見つけることができたのだという(同種のクランを見つけることができた)。
そして支配構造があったとしても、端的に移動することでその支配から逃れた例も多いのだという。
じぶんを振り返り、「勝手にどこか行くこと」「命令に従わないこと」がまるで人間的欠陥であるかのように糾弾された経験をいくつか思い出す。そしてそうではない世界があったら本当にいいなと思う。
著者ら(とくにデヴィッド・グレーバー)はアナキストなので、扇動されているのかなという気もする。しかし私の立場も比較的アナキスト寄りなので偏りがある。
## ケアするものはそれを喜んでやるべきという見方
第10章でエジプト文明などを例にケアの話が出てくる。
初期エジプト王国では”儀礼的殺害”として、王の身辺の世話を務めていた臣下が王の死とともに埋葬された。
> いっぽうには、愛と献身の究極の表現であるとおぼしき儀礼が存在する。王を王らしい存在にするために、日々の生活のなかで王に食事を与え、服を着せ、髪を整え、病気の世話をし、さびしいときには仲間となっていた人びとが、死後の世界でも王が王でありつづけることを支えるために、みずからすすんで死んでいく。ところがそれと同時に、これらの埋葬が究極的に示唆しているのは、統治者にとって最も親密な臣下たちであっても(中略)、個人の所有物として扱われ、意のままに処分されたということなのだ。
> デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ「万物の黎明」、酒井隆史訳、光文社、2023、p457
ここにはケアの逆説ともいうべき構造があり面白いなと思った。ケアする側は、そのケアを「喜んで」やるべきという見方があるように思う(現代でもわりとある)。
周りのみならず、ケアされる側本人も、ケアする人間がそれを「喜んで」やっていると信じているようなことがある。
たとえば夜眠くなったから寝るとして、それは眠いから寝ている。べつに喜んで寝ているわけではない。ケアをする人間が「ケアが必要だな」と思っているからやっていることと、ケアする人間の感情は別問題である。しかし、なぜかここが混じることが多いなとなんとなく思った。
> 実際、統治形態としての君主制の魅力を理解しようとするならば――(中略)――、それはおそらく、ケアリングの性格を帯びた感情とおそるべき恐怖の感情の両方を同時に動員する能力と関係しているようにおもわれる。王は、究極の個人であって、その奇行や気まぐれもつねに甘やかされた赤ん坊のように扱われるべきであると同時に、究極の抽象でもある。なぜなら、大量の暴力や(エジプトにみられるような)大量の生産に対する王の権力は、万人を等しく均すことができるのだから。
> デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ「万物の黎明」、酒井隆史訳、光文社、2023、p474
また、ここもそうだなと思った。ケアされる側はその「個性」を最大限尊重されるが、ケアする側は究極、代替可能である。代替可能であるがゆえに、人間がモノと化して暴力をふるわれる対象になる(最終的に殺害されて埋葬されてしまう)……というのは容易に想像できる。
## 慈善が支配に転換していく
この視点はじつは第12章ではじめて出てきて、もうちょっと掘り下げるべきなのではないか、とても面白いなと感じた部分だった。
たとえばアマゾンの社会で、身寄りのないものや外れ者は首長の家に避難することが認められていたらしい。一種の慈善事業である。そして避難した者たちは首長の従者となり、首長はある程度彼らに「命令権」を持っていたのだという。
一時的な避難があったとしても、だんだんと時間が立つにつれ、別の場所にうつることは難しくなる。そして首長の「命令」を無視することはむずかしくなる。やがて他にあったより自由な関係は忘れられていき、晴れて避難したものたちは「支配」されるのだ。
慈善の偽善的側面というのはよくいわれるけれど、わりと素直な性格なので「べつに困っている人を助けるのはよくない?」と思っていたのだが、人の逃げ道をなくす巧妙な道という見方もできるのだなと思った。
## カンディアロンクの人生と系譜おもろい
第11章は冒頭、第2章に登場した”カンディアロンク”の出自である、17世紀アメリカ先住民族・ウェンダッド連邦の系譜が語られる章である。彼らは血なまぐさい支配から一転、それを捨て去り、反目し合う小集団に分裂した後、かなり"民主的"な集団を形成するに至ったらしい。カンディアロンクはその末裔である。
西洋文明の掲げる平等、自由といったものはともすればアメリカ大陸征服当時、彼らから"輸入"したもの、あるいはバックラッシュなのではないか?……というのが著者らの見解のようだ(解説によるとこのあたりが書いてある第2章はかなり炎上したらしい)。
カンディアロンクはウェンダッド連邦の政治家として、イギリスとフランスとウェンダッドの政敵を対立させようとしており、フランスを訪ねたりもした可能性があるらしい。あとめちゃくちゃ弁舌がうまくて頭の回転が速かったらしい。
全体的にすごくない?めっちゃ小説じゃないですか?カンディアロンクの大河ドラマ見たい。
## ルソーが字数オーバー
この本がたびたびとりあげるところであるルソーの「不平等起源論」という論文であるが、なんかレスバみたいな感じで投稿された論文らしい。
> この論文は受賞にいたらなかっただけではなく(中略)、審査員は、ルソーの論文が制限字数を大幅に超えていたため最後まで読んでいないと発表したのである。
> デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ「万物の黎明」、酒井隆史訳、光文社、2023、p73
うける。
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# 文句
## 長すぎ
ながいです
## 構成がおかしい
最終章(第十二章 結論)はこの本に登場した概念がすべて出てくる「ってなんで俺くんが!?」パートなのだが、ここでほぼ初めて各章の話をどうして著者らが重要と思っていたか、どうつながるかが語られる。つまり論文でいうところのDiscussionパート。
この本が論文の構成だったんだ!1〜11章は全部Material/Method/Resultなんだ!Eureka!と気づくのは12章に入ってからで、それまでこの話どうつながるの???と思いながら読み続けることになる。構成がおかしいよ。
## クレタ島の話ちょっとむかつく
フェミニズムについては本のなかで一貫して配慮がありますよという目配せが存在するのだが、第10章で「ミノアのクレタ島」の話になるところで頂点に達する(と思う)。
クレタ島に前1700年頃に存在したミノア文明は、宮殿社会でありどうやら女性が政治的優位性をもっていたらしい。ミノア文明には戦争のイメージはなく、遊びや快適な生活への配慮がある。ミノア文明の玉座はオープンスペースにあり、交易品は打楽器、化粧瓶といった”女性の香りが漂う”ものである、云々。
> ミノアのクレタ島からえられる証拠のほとんどが、女性による政治的支配のシステムの存在を示唆している。
> (中略)
> ミノアの芸術家たちが生活を表現する方法からは、クレタ島の隣人たるギリシア本土の芸術家たちとはまったく異質である感性が存在していることがわかる。(中略)これは、ピュロスの壁やジムリ・リムの宮廷の壁に描かれている硬直した動物像や、さらには後世のアッシリアの壁のレリーフに描かれている残虐な戦争の場面とは、まったく異質なものである。ミノアのフレスコ画では、すべてのものが溶け合っているのだ。ただし、離れて立っていたり、小グループで楽しそうにおしゃべりをしたり、なにかの見世物にみとれていたりする、力強く描写された主役の女性たちの像を除いては。
> デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ「万物の黎明」、酒井隆史訳、光文社、2023、p499
ここはクレタ島に女性による政治的支配が存在していたこと、”女性的な”芸術が存在したことを賛美する一節であるが、気に入らない。なぜなら芸術の嗜好や、戦争が好きかどうかに男性性も女性性も関係ないからである。
ここには偏見があると思う。女性は生活の細部に気を配り、女性は曲線を好み、女性は争いを嫌い、女性はみとれ、女性はやわらかな支配を行う。
著者らの言いたいことはわかる。ミノア文明は他に見られない要素があるのだ。
でもそれを説明するのに”女性的な文明”という論調で語る必要はなくないですか?そしてそれを手放しで賛美する必要はもっとなくないですか?
もしかしたらこういう一節を入れないと欧米ってだめなのかも、だからバックラッシュとかすごいのかも、とうっすら思った。
## 冗談がわかりにくい
冗談をめちゃくちゃ持ってまわった言い回しでいうので「これ冗談ですか?冗談だよね?」が多発。
> 今日、カルーサのような人びとを、豊かな資源基盤を有していたために「非典型的」であるとみなす人びとは、わたしたちをつぎのような考えに誘導している。すなわち、古代の狩猟採集民は河川や海岸のようなロケーション(中略)を避けることをあえて選択していたのだ、と。どういうわけか、かれらは、望んで後世の研究者を満足させんと、二〇世紀の狩猟採集民(中略)を模倣してあげているわけだ。さらに、わたしたちはこう信じるようにもとめられる。砂漠や山や熱帯雨林を使い果たしたあとはじめて、より豊かで快適な環境にしぶしぶ入植するようになったのだ、と。これを「ひどい場所はぜんぶとられちゃったよ!」論と呼べるかもしれない。
> デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ「万物の黎明」、酒井隆史訳、光文社、2023、p173
ここ全部冗談です。
# 面白かった
面白かった。長い本で論点がむずかしく自分でも整理できたかわからない。
あとなんか分裂生成がSNSみたいでSNSってやっぱ閉塞的なのかもとか、スポーツ大会政治いやすぎとか、ヌアー族の結婚いいな~とか色々感想ある。
感想を書く前になにに対して感想を書くか整理しなければならず、たいへんだった。
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