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# 2026-01-12 でかい
- ドーナツを食べに行く。
- Valheimというゲームで蕪を探し、見つける。これが今年の七草粥……?
一人暮らしの時分、かっこいい土鍋ほしいなと思ってでかい土鍋を買い、「でかすぎる」と同僚等に笑われた。
どれくらいでかいかというと、暮らしている人間が2倍以上に増えた現在でもなお、わりとでかいと感じる。
でも信楽焼のたぬきみたいで、茶色くて、でかくて、おもくて、かっこいいのだ。
かっこいいからいいじゃんね。
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# 2026-01-13 ちいさな狐
- 在宅勤務。
- ものすごい風が吹いており、ブランケットを洗濯して干そうとしたが挫折した。
- 昨日のごま豆乳鍋を増殖させおじやにする。
なんとなく趣味で色々な有形無形のものを作ってネットにアップしたりしなかったりしている。しかし、これを無料で人間に見せることができる、つまり、他人の注意リソースをただで奪う(可能性のあるプラットフォームを使える)のはあとどれくらいのあいだだろうと考える。
いや、この日記もObsidian publishでホストしているので無料ではないですが、もっと個人の注意リソースそのものをそれぞれが商品として、メルカリみたいに扱う時代が来てしまうのではないかと思う。そのようなプラットフォームでないと発信もできなくなるのではないか。
もしかしてもう時代来てますか?
なるべく細々とものを作っていきたいし、他人のアテンションをもらわなくてもよいというふうになりたい。しかし、他人が見る可能性がある、というのはそれはそれで重要ではないかと思う。
その違いはなんだろう。
とくに答えがあるわけではないが、中島敦の「狐憑」を思い出す。
私の勝手な想像に過ぎないが、この狐がちっちゃかったらよかったのに、と思うのだ。そして小さいのがたくさん住んでいたらいいのに。
そうしたら他人が多くいなくても、楽しく過ごせたのではないだろうか。