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# 2026-05-25 鋭意firefighting
- この洗濯がすごい2026。
- 幼児たちが謎の草を持ち帰ってくる。「これはなんですか?」と聞いたら「なんかへんなくさ」とのことだった。
- モチーフを1個編み終わる。[かぎ針編みアドベント2025](https://note.com/aki_kasaishi/m/m8400ef2c4428)の編み図を使っており、これは1日で1~2個のモチーフを1ヶ月編み続けてブランケット等を作ろうという企画。つまり計25個?50個?編むことになる。いまのところ1個編むのに1カ月かかっており、すなわち足掛け2年かかるということだ、、、
先日足掛け2年ほどかかったくまのぬいぐるみを縫い終えた。なにも知識がない状態でクラフトを始めるので、工程表に何が書いてあるか全然わからない。特にあまり調べず進めるので、知識がつくとかもあんまりない。まさにfirefighting project。
今編んでいる編み物もこれから2年くらい掛かる想定だが、やはりよくわからないまま編み進めている。
(具体的に言うと編み図は読めるようになったものの、引き抜き編みをする位置がいまいちよくわからず、勘でやっている。それは読めるというのか?)
しかし教室に通ってプロに矯正してもらう、とかいう気も特にない。これからも鋭意、火消しを続けていく。
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# 2026-05-26 大団円
- 巨大なトルティーヤを食べる。
ずっと服の型紙見てる。作ったことないのに。怖い。
疲れをとりたいものだなあと思うが、お金を使うと大体さらに疲れてしまうので、一体何をすればよいのかと考えている。週3勤務で週4休み、そしたら皆で大団円(わかる〜)。
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# 2026-05-27 美意識の問題
- 色々あって、家の機械を毎年修理してもらっている。今年の修理が開始された。今年は直ってほしい。
- [べつに白いバラを赤く塗ってもいいです](https://sizu.me/tobusuka/posts/w6wnd5ou106v)というエッセイを書いた。
しずかなインターネットでエッセイ的な文章の練習を1年くらいしている。
とにかく文章が長くなる癖があり、長くなるとしずかなインターネットのUIと相性がとても悪く、特にモバイルだと大変に見づらい内容になる。
なんとか改善したいと思い、ひとまず文章のほうを軽くしようと1ヶ月放置してみたのだが、奏功しなかった。
まじめにやっていないのでは?すみません……。
かくなる上はObsidian publishに長文を引っ越しするしかないのではと思う。
しかし、問題がある。しずかなインターネットでは自分の中では抒情的な、感情に訴えかけるほうの文章を書いている(と思う)。すなわち(すなわち?)、未来のある時点で嫌になって全部消す可能性が存在する。
嫌になってしずかなインターネットのアカウントを消してすっきりするだけならいいのだが、Obsidian publishだけで公開しているとうっかりVaultを全消ししてしまう可能性があるかなと思っており、躊躇している。
特に誰に読ませるわけでもなく、見やすくする意味?という気もするが、まあこれは美意識の問題なので……。どうしようかな。
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# 2026-05-28 爪を真っ黒に
- お金の話をひたすら聞く機会があり、お金のことを考える。
足の爪をカーキ色に塗った。片足塗って飽きたのでもう片方は塗らずに放置した。
幼児が爪の色が変化しているのを発見し、いたく感動していたため、幼児用のアセトンが必要ないマニキュアを探すことにした。
今年はいずれ爪を真っ黒に塗ろうと思っている。
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# 2026-05-29 夏苦手
- トムヤムクンみたいな冷たいやつを食べる。めっちゃおいしい。週3これでいい。
- 家の機械が直った。よかった~。
幼児が恐竜と深海魚にはまっているらしい。恐竜の塗り絵を購入し、ティラノサウルスを深紅に塗る。アガる。
夏が苦手だが、年々夏が長くなっていくのでしんどい。恐竜がいたころは今よりずっと地球が全体的に暑かったらしいが、考えるだけでげんなりしてしまいます。暑いと大体余計なことを考えるのもよろしくない。ひたすらデータの整形などをして心を鎮める。
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# 2026-05-30 実体のない焦り!!!
- 暑い。
- 段ボール工作で作っていたパウステーションが完成した。
- 補修していた大皿も完成した。
本をたくさん読みたい。語学をたくさんやりたい。あと布をいっぱい切りたい。色々なものを作りたい。海が見たい。人を愛したい……
実体のない焦り!!!がここ数週間脳を支配しており、ハリガネムシとカマキリの関係……と思っている。水に落とされるぞ。
もっと日常の細かな気付きとか進捗に目を向けていきたい。なぜなら大局で見たら負けることは確実なのだから。
村上春樹の著作が育った家に多数あったため、自分の考え方のベースは村上春樹(が著作に書いていること)であると自覚している。問題は、自覚しているのにもかかわらずそれが常識だと心のどこかで思っていることである。
いまも「負けることは確実」と言って、これはもちろん村上春樹著作からの引用(”人生は確実に負けることがわかっているゲームである”)ですが、引用してるな~と思いながら心のどこかで”常識”のラベルが貼られているのを感じる。みんなそう思っているよね、と考えている。そんなはずはないが。
よく村上春樹著作の印象的なフレーズ(「やれやれ。」とか「今ぼくはパスタを茹でているんだよ」とか?)が揶揄されるのを見るけれど、あまりに自分にとって常識なのでそれのなにが面白いのか全くわからない。
別にものすごく好きではないはずなのだが、村上春樹著作を批判的に読むことがいっさいできない。母国語を批判できないというか。
幼少期に読んだ本を批判的に読むことや、分解的に読むことって難しいのかもしれない。
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# 2026-05-31