この記事は、ブローガスト2026の6日目の記事です。 ブローガストとは何か?→公式&日本語での有志の方の説明 tobusukaの所信表明→こちら。 tobusukaのブローガスト2026で書いた記事→こちら。 ←Day5の記事はしずかなインターネットに飛びます|Day7の記事もしずかなインターネットに飛びます→
ものを書く時にどう書いているかの話を読んだら面白かった(いかに文章を書いているか問題①【ブローガスト2026-2】、いかに文章を書いているか問題②【ブローガスト2026-3】)ので、自分もここ最近書いているエッセイについて、書くときにどのようなことを考えているかについて書く。
ルール
しずかなインターネットでエッセイを書いている。エッセイについてはいくつかルールを決めて書いている。
- 事前知識がいらない文章(たとえば、私についてしっていてもしらなくてもいいし、文学の知識があってもなくてもいい)。
- 引用、紹介、パロディなどを必ず1作品分入れる(作品は文章でも、映像作品でも、ゲームでも、絵画でもいい)
- なるべく具体的なできごとを中心に据えること。あるいは、自分が確かに好きなことについて書くこと。
- 自分があとから読んで気持ち悪いと思わないようにする。陶酔しない、事実を書くこと。
- 自分以外の人間のことはできれば書かない。
このようにルールを課しているからか、エッセイは書くのは日記より時間がかかる。
テーマを探す
まず、なんとなく書けそうだなと思うテーマを探す。
書き出しを思いつく
こういう風に書き出したら面白いかなと思いつくことが多かった。
たとえば、べつに白いバラを赤く塗ってもいいですはべき思考について書いたエッセイなのだが、べき思考ってなんでもべき乗で計算する人みたいだな、と思ってそう書き出した。
海(の近く)に住む女はとにかく、離職期間について書こうと思って「色々あって、〜」と書き出したのだが、いやそんなに色々はないな、と思い直してそう書いた。書いたら面白かったのでそのまま続けている。
ワンアイディアのほうがいいかも
テーマをどうする段階でこねくり回してしまい、長大な文章ができてしまうことが多い。
8月はブローガストという催しに参加しており、畢竟短い時間でテーマ出し→完成までやらなくてはならないが、こうすると文章(妄想)が膨らみすぎずよいのかもと感じた。最近あった出来事から膨らませるしかないし。
この手法で書いたマイ・フェイバリット・小包とコンタクトレンズ伝はワンアイディアで遠くから薄目で見るとほとんど同じパターンの書き方にも思えるが、同時に2000文字に満たない程度でかなり他より読みやすく書けた(と思う)。ブローガスト中は練習を少し続けたい。
思いつきやすいあれこれ
思いつきやすかった方法3選
- この人のために書こう、と思うと当社比かなり書きやすい
(でもそれって手紙かDMのほうがよくないですか?だからこの方法がいいのかよくわかりません) - 繰り返し思うことについて書くと連想が膨らみやすい
金木犀のにおいだ=>ロフトで練り香水を嗅いだ記憶=>川端康成が花の名前をどうこう言ってたけど花ってそんな咲いてる?気づかなくない?
まで常にセットで思っていたので、ここからは膨らませやすかった(川端については実際には書いていない)。 - なんとなく特殊な考え方かもと思っていることについて説明する文章(虫の一人称を想像して怖いとか)
好きなもの
好きなものについて書くという切り口もある。
自分の好きなものは、タスク管理やリスト、整然とものが並んでいる様、その他いろいろ、なのだが、そういったものに触れる機会があると、エッセイ書けるかも!と思う。
つまり、好きなものに気づけば気づくほどエッセイが書けるということなので、細かい好きなものを見つける必要があるのだ。
細かければ細かいほど、具体的なので良い。
雑に書く(そして放置する)
書いているうちにこうなったら綺麗に終わるな、と思いつくことが多いので、それを信じてテーマに関係することをたくさん書く。飲み屋で滔々と演説しているイメージで書く。
癖で「なんか」とか「それ」などのフィラーをやたら入れてしまうが、気にせず書く。あとで「なくても文章の意図が通じる」ところに気づいたら全部消す。
綺麗な終わり方が思いつかないものは、放置する。
書いているうちに何かに対して激怒しだした文章もどうしようもないので放置する。私にはこういうことがままある。
ルールを守らないとおこだよ
冒頭に掲示したルールから逸脱している場合もある。それに気づいたらその部分は棄却されることになる。
コンタクトレンズ伝は本来、コンタクトレンズ店の店員さんと週始まりの認識が合わずすべての歯車が狂い始めた、という話を入れるはずだったのだが、「なるべく自分以外の人間のことを書かない」ルールに反するので棄却された。書かなくても話は進むので。
引用を決める
面倒くさいのが「引用」を決める部分である。
しずかなインターネットでのエッセイは「引用すること」を一番のルールとしているので、書き出したらつねに「何を引用するか?」を考えている状態にある。
最初からそれが決まって書き出しているもの(レンブラント)もあるし、書いていたらそういえば、というのもあるが(饗応夫人)、全然思いつかないものもある。
たとえばブルーベリーのエッセイは、ブルーベリーをもらって博打でもう一本買って結果を待っていた話を書こう、と思ったものの引用がぜんぜん思いつかなかった。
魔女図鑑?(魔女がエッセイ中にでてくるが、あんまり内容と関連がない)、マクベス?(お告げを信じて破滅する話、でも破滅してないから…)、タタール人の砂漠?(待つ話だから、しかし読んだことないです)、太宰治の「待つ」(これも待つ話だから、いっそもう全部をこの文体で書き直す?でも1個前の引用も太宰だったからいやだな)、などなど。
そのうち、マクベス=>シューベルト=>魔王、がつながって、魔王所収の「呼吸」を思い出した(ぴったりな感じがする!)が、同時に自分の文学的知識の浅さを思い知らされる。マクベスとシューベルトはつながるのか?
タタール人の砂漠とかを読んでたら引用できて、ブルーベリーのくだらなさとのコントラストで面白かったのでは、と思うけど。
引用をすることで、オチは引用に絡ませたものになる可能性が高く(べつにそうしなくてもいいが)、そういう意味では引用するとオチに悩まなくてよいのかも。
ほかの文章は全然違う
エッセイについて書くときの作業?をだいたい列挙してみたが、ほかのタイプの文章には全然当てはまらない。
このサイトで書いているような文章や、日記や短歌やはたまた業務で書く文章は使う脳の部位が全然違う気がする。気が向いたらこれらについても作業を整理してみたい。